予約したジーニアスバーにPowerBookの持ち込み、今朝の状態での問題は 1)ゴミ箱が空にならない 2)ネットワークディスクに接続できない 3)iCalの時刻入力時に本体の24時間表記が反映されず入力が12時間制になる、の3点。
PowerBookを開けてカスタマイズされたアイコンに怯む若きジーニアス氏、確認していたらゴミ箱はいつの間にか空になっていた、再起動しても消えなかったのに何故だか謎だったが消えればいいや、あとiCalも今BusyCalという素晴らしいアプリケーションを使っているので別にいいです、ネットワークの不具合だけと折り合う私、ネットワークの症状を確認したジーニアス氏「ちょっと技術者に見せてきます」とPowerBookを持って数十分バーから消えた、戻ってきたら魔法のように不具合の原因がわかっているのかと思いきや「いやあ、技術者にもわかんないそうなんで」と無表情に戻ってきた、「クリーンインストールしてみますか」「いえ、一度rootでつないでからだと接続できるんでそのまま使います」てことでそのまま帰ってきた。
で、帰ってきて起動、FireWire外付けHDDをつないでみたらゴミ箱がまた満杯になっている、昨夜コマンドラインからかなり強制的に空にしたのに消えなかったじゃん、それなのにさっきはきれいさっぱり一点の落ち度もありませんな顔しちゃってなんだよーとおちょくられてる気分。
試しに外付けHDDを外したらゴミ箱は空になった、てことは外付けHDDのゴミ箱に入ってるファイルなんですね、ゴミ箱の中身のファイルからMount/FirerWireHDD/.Trashesであることを確かめてフォルダに移動でようやく元のゴミ箱に辿り着き、情報を確認したら案の定.Trashesフォルダのアクセス権が「書き込みのみ」になっていたので「読み/書き」ができるように設定し直し、PowerBookのゴミ箱にあるファイルをHDDのゴミ箱に移動、この時点ではまだPowerBookのゴミ箱にファイルが見えていたが、外付けHDDのゴミ箱ファインダーで空にするボタンをクリックしたら見事に消滅、同時に本体のゴミ箱もやっとすっきり。
因に私のゴミ箱アイコンは「ふぐ」になっていて、ゴミ箱に何か入ってると膨らんでるんです。で、空のときには細いんです。普段はシャットダウンのときにふぐが痩せるようタスク作ってるんで、起動させたときにふぐが膨らんでるとなんだか嫌な気分になるという次第。
あとなんかネットワークの設定もごちゃごちゃいじってたら普通にできたんですけど、やっぱりジーニアスバーの技術者がこっそり魔法をかけてくれたんでしょうか。
再起動して確かめて偶然うまくつながってるのが切れたら嫌だから確かめないけど、普通にTimeMachineでバックアップとれたし、ファイルの出し入れもできるんだよね。
不具合が発生すると検索で世界中のmacに困っている人のブログ記事を参考に対処法を試すので、誰かのお役に立つかもと思い、興味のない方には申し訳ないけれどメモしておきます。PowerBook/OSX10.5でAirmacExtremeのネットワークにUSBHDDとiBook/OSX10.4、ゴミ箱問題はPowerBookに直付けのHDDでした。
- 2010/02/09(火) 01:45:33|
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丸十日間に及んだmacの復旧+カスタマイズ作業が金曜正午にようやく完了、もう一回ジーニアスバーに駆け込まなきゃならないかと思うほどの難関もあったが自力でクリアして晴れやかな気分、寝不足も眼精疲労も肩こりも限界を超えているけど。
獣医との定期連絡、餌を変えたらよく食べるようになったとのこと、ストレスや痛みでなく好き嫌いだったとは恥ずかしい、やっぱり狭いケージで暴れていて背中をよくぶつけるので赤くなってますって、きっと擦り傷や咬み傷だらけになって帰ってくるんだろうなあ。
金曜夜は富山・芸文ギャラリーの
羽田くんが来京したので恵比寿横町、富山で同級生だったMちゃん連れてきてくれて楽しいお酒、ついつい居残って深酒、寝不足がたたって一気に風邪症状。
左/まゆみちゃん、中/羽田くん
土曜になったらまたネットワークの調子がおかしくなった、rootならちゃんと接続できるので設定ファイルの問題であることは間違いないのだが、一度直ったのにまた、ってところでもうお手上げ、ジーニアスバーの予約キャンセルしなくて良かった、それ以外は至極快調なのでネットワークディスクでのTimeMachine利用を諦めればいいんだけど、同期でバックアップ取っていてもTimeMachineでのバックアップは捨て難いしなあ。
夜はWastedTimeでGotch2発目、きゅうきゅうに上がってた前回より乱暴なほどのびのびでまた良しなのだが、いかんせんYo-Heyが喋り過ぎて萎える、風邪症状でふらふらしつつ帰宅。
今朝は七時就寝九時起床、十二時に出発して東府中で娘のサークルの発表会を見物、大層なホールで娘以外の部員ががちがちに緊張している様が初々しい、舞台慣れしてる娘だけがフラットな佇まい、大げさにもならず縮こまりもせずの太々しさはさすがワークショップ育ちなのか、終演後のロビーでお客さんへの見送りに全員が生合唱、OBOG感涙で伝統を感じます、会場で親方と合流、初代旦那夫婦も来てくれてほぼ一年ぶりに集合したので家族写真なんぞ撮ってみた。
左/父夫婦、中/娘、右/母夫婦うちの娘には四人もお父さんがいるのにどのお父さんも漏れなく堅気じゃないんだよなあ、堅気には育たないんだろうなあ。
- 2010/02/07(日) 16:32:25|
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連日朝九時だの十時だのに仮眠するだけの生活だと体内カレンダーも狂って、一日経ったのか二日経ったのかわからなくなってくる、聡子から「豆」が送られてきたので節分には気づいたが、いつの間に2月になっていたのかとちょっと驚いた。
macの復旧と設定にもう十日もかかってる、そこそこ使えているのだがまだ次々に不具合が出てくるのでやっぱりHDDの交換しないとどうもならんのかもしれない、昨日はうっかりしたことしてシステムのアクセス権が狂い何もできない状態になってせっかく整理したデータのレスキューに必死、今は本体のアプリは動作、ネットワーク関係とカレンダーが駄目な状態、些細なことだけど不具合あるまま使うのはやっぱり不安、いっそまたクリーンインストールして最初っからやり直した方が早いような気がする。
さて帆太郎先輩、昨日の午後にちらっと覗いてきたところ、こんな感じ。
面会のときはケージから出してくれる。直接に会うと興奮させてしまうので扉の窓からこっそり。 本日の報告によると餌は八割食べて元気、血液検査も異常なし、ストレスで尻尾を咬んで出血したが咬まなければ治る、とのこと。尻尾咬むんじゃあのうっとうしいカラーも外せないし、外せないから苛々して尻尾齧るんだろうし、macのトラブルが頻発してそのたび詳しくなり、詳しい分カスタマイズが激しくなり、カスタマイズし過ぎてまたトラブルが現れる、というのと同じ、我々は本当に阿呆ですな。
ケージから出されても、とにかく看護婦さんに甘えたくて「抱っこしろー、抱っこしろー」と暴れていた、退院後の自宅ケージ生活、「すごそこにいるのに何故抱っこせんのだ」と吠えるんだろうなあ、無視できないんだろうなあ。
- 2010/02/04(木) 16:00:00|
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泣きっ面に蜂の一週間、合間に帆太郎の手術で麻酔に立ち会い、土曜はゲーマーズラウンジを冷やかし。
七日間毎朝九時過ぎまでmacをいじり倒して今朝方ようやくsafariの設定が終わり、残すはiTunesとiPhoto、新規導入したKeyHoleTVを流しっぱなしにして帆太郎いなくて物足りない空間を埋めつつ本日正午〆切の原稿作業に取りかかったのが朝六時、丸二日くらいスクリプトとかやってたから縦書きの日本語を入力するのがなんだかおかしな感じでローマ字入力がままならない、今更に気づいたのだけど文章書くときにはものすごく強くバチバチキータイプしている、原稿用紙の時代からもともと筆圧が強いんでそういうもんだと思っていたが、スクリプトとかはおっかなびっくりだからなあ、原稿は先ほど無事に送信、何か食べてから寝ようと思ったら買い物に行ってないのでパンも米も卵もなかった。
ちなみにに帆太郎の手術は何事もなく終わり、麻酔から覚めて暴れてるところも見てきた、みどりのときは太い骨だったのでプレートで骨を留める手術だったのだけど、帆太郎は手首に近い部分の骨が太いのと細いのと二本とも斜めにばっきり折れているのでプレートつけられず、骨の中に長いピンを埋め込む手術だった、みどりのプレートは火葬したときに遺骨に混じって取り出し、骨壺にしまってあるけど、帆太郎のピンは肢と同じくらいに長いのが二本あるから骨壺に入らないだろうなあ、なんて考えるのは縁起よくないですな。
獣医は「元気なんだけど餌をあんまあり食べないでお皿ひっくり返す」と言っていた、まるで留置所に入れられた酔っぱらい、病室のドア越しにしか会えないけど明日あたり覗きに行こうか、退院しても四週間はギプス生活だからみどりのときに使っていた大きなケージを親方んところから送ってもらわなければならない、それにしても帆太郎いないと話し相手がいなくてやたらと静か、普段どんだけ犬を相手に喋ってるのか。
- 2010/02/01(月) 09:38:47|
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月曜の夜に事件が勃発、調子の悪かったPowerBookのOSが瀕死になりクリーンインストールが必要になった、慌ててバックアップの確認するもどうもうまくない様子で徹夜一日目、どうもならんので火曜夜に「ブレイクタウン物語」と「新宿乱れ街」二本立て、美也子さん可愛いのになんで流山児さんの嫁なんかに、会場でそれぞれ単独行動で現れた吉岡や切通さんと顔を合わせたがトラブル放置だったので誘わずに帰宅。
ひどいことになる前に救出しようとネットワークディスクにしている外付けHDDを動かしたら直付けしても読み込めなかったりこちらも具合が悪そう、起動ディスクにしているiPodと外付けHDDとPowerBookとiBookをフル稼働させて必死に取り組んだが思うようにならず徹夜二日目、挙げ句ネットワーク設定もでたらめになってディスクが認識できなくなったのでデータ消失の覚悟と新しい外付けHDD購入の決意をしてジーニアスバー、無料でPowerBookのクリーンインストールをしてもらってHDDの検討をつけひとまず帰宅、ひたすらソフトウェアアップデートとインストールでほぼ徹夜三日目、この日に急遽月末〆切という書評原稿の仕事が入ったので最悪はiPhoneのテキストアプリで書くか手書き原稿かと目が血走っていた。
木曜午前はネットワークの復旧、午後に再びアップルストア、ちっこいHDDを購入して帰宅、ワンタッチして犬連れで食料の買い出しなど済ませ、またワンタッチでガーデンプレイス、帰国中のナブコと合流して恵子が入院している厚生中央病院へ見舞い、タバコ我慢の限界になって引き上げ、ナブと解散して帰宅。
玄関のドアを開けたら帆太郎が出迎えてくれ、きゃっきゃと先に立って室内に戻った途端に「うぎゃああああん」と絶叫、叫びは治まらず「うぎゃうん、うぎゃうん」と泣き叫ぶので何事かと抱き上げようとしたら左前肢の肘から下が尻尾のようにぶらんぶらん回転している、一見して折れたとわかる状態なので、ひとまず抱きかかえて手で肘を固定しつつ、みどりが骨折したときに手術をしてもらった動物病院に電話して、ヒロシにタクシーで来てもらってすっ飛ばして夜間診療、一目でわかる骨折なので「入院」と先に言われ、すぐにギプスと痛み止め、レントゲンには手首(肢だけど)近くの骨が太いの細いの二本とも斜めにばっきり割れて写っている、だって肘んとこの皮から骨が飛び出しそうになってたから肘だと思ったけど、手首が折れて肘の骨が皮膚の下で思いっきり肩の方に引っ張られていたってことらしい、手術は明日、入院二週間、治療費は前回同様十五〜二十万だろう、泣きっ面に蜂ってやつですわ。
この日四度目の帰宅して、ようやく買ってきたHDDを開封、PowerBookに両方つないで具合悪いHDDからデータの救出に成功、といっても主に画像や書類や音楽ファイルで、カスタマイズしまくったOSの設定はどうやっても取り出せないし、メールも全部消えてしまった、それでもワード設定はすぐに完了し、サファリやアドレス帳、メールアカウントなどの設定も復旧、重要なデータを全部取り出した具合悪いHDDを初期化してネットワークにつないだら一発で認識、書き込みも読み込みも不具合なし、いそいそ初期状態になっているPowerBookと新入りHDDに移したデータをタイムマシンに乗せてフルバックアップ、この時点でかなり気が楽になったので宅配ピザで徹夜という予定を変更してポトフなど煮込み始めとっ散らかっていた部屋を片付けて平常の片鱗が見えてきた、カスタマイズは追々、とかいいつつきっと今夜やってしまうのだろうけど。
明日は三時に動物病院で手術始めの全身麻酔に立ち会い、明後日はご無沙汰したゲーマーズラウンジにお邪魔してゲーオタさんたちの様子を見物、書評原稿は月曜午前中〆切にしてもらったので日曜に読んで書く、いやはや、こんな怒濤の日々もあるのだなあ、まさにサバイバル・ウィーク。
- 2010/01/29(金) 00:47:36|
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1月WS無事終了、12名ってやり易い人数だった、今回はテキスト・エチュードともに適切なセレクトだったと自画自賛、二日目の難しいエチュードはやる人も観る人も面白い「当たりネタ」、ふらりと「へばの」木村文洋が顔を出してくれたのも嬉しい。
12時間以上留守番していた帆太郎先輩は猛烈に怒っていてまだ口を利いてくれないのだけど、こちらも連日12時間喋りっ放しなので声が出ない、先週は小説教室もあったので一週間のうち半分くらいずっと喋ってたような気がする。
そういえば、今日明日の二日間のみ「ブレイクタウン物語」が
渋谷シネマヴェーラで上映中、私は「新宿乱れ街」と併映する明日の最終回に行く予定、どっぷり昭和風俗が楽しみ。
死んでます。右は「ひと夏の体験 青い珊瑚礁」「3年B組金八先生2」などの堀広道。2月WSの開催日も決まりました。
2/27~28 18:00~22:00
南阿佐ヶ谷・ひつじ座お問い合わせ・お申し込みは
情報サイトからどうぞ。
- 2010/01/25(月) 17:11:26|
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今年最初のWSには12名が参加、うち新規参加は3名で先月見学に来てくれた警備員48才もいる。
前半は「素の表現方法」についての講釈と、「モグラ町1丁目」テキストから抜粋してテキスト解釈の方法を説明、後半は先月に続いて「箱のエチュード」、テキストの解釈と同じ方法でエチュードで与えられた設定を解釈するというアプローチ。
実践的エチュードには瞬発力が勝負でやりっ放しの部分があるが、WSでは「今やったことについて改めて考える」ことができる、それを繰り返すことで、「やる時間」と「考える時間」の距離が少しずつ狭まったら良いし、人のやってることを観て「あれこれ感じる」ようになるはず。
頭で理解しても自分がいざやるときには思うようにできない、やるときにはなんとなくやれるけど理屈としてはちゃんと理解できていない、という両極の問題は、結局のところ中心点である「実践方法がわからない」ということなのだろうと思う、実践方法とはつまり立ち方、「そのままそこにいる」ということそのものなのだけど、まだまだ「演じること」や「芝居という仕組み」について、どこかで見聞きしたり教わったりして植え付けられてしまった先入観が強く、皆なかなか自由に立てない。
「へらへらやる」ことと「ものすごく考えて作る」こと、「ものすごく演技が巧い人」と「まったく演技のできない人」は辿り着くところがおんなじだと思うんだけど、「演じる」ことを知っている人たちは何かをやっていないとそこにいることに自信が持てないのか、考えてやったつもりになってしまったり、やることで考えずに終わってしまったりして、全身くまなく働かせることに苦心する。
普段の生活でへらへら喋っている状態は、決して頭が動いていないわけではなくて、猛烈な働きを習慣化させているわけだが、「演じる」ときの「演じる」人は、頭や心を動かさずに台詞と段取りをこなす為の練習をしてしまうので、出来上がったとしてもそれは「普段の生活の自分」とはまったく違う状態の自分になってしまっている、だがそのことにすら気がつかずに「普段の自分そのまんまのふり」までしたりする。
彼らには、いわば「如何にも自然に見せようとする不自然さ」「無意識であろうとする意識」が分厚いかさぶたのようにまとわりついていて、生身の感覚が働かせられない、よって、「不自然であることが自然なのだ」「意識を持ってこその無意識なのだ」という理屈でのアプローチは、自分のどこをどう突つかれているのかを理解するまでに時間がかかる。
彼らは自分が身につけてしまった方法論の中でそれらを理解しようとするのだけど、「難しくてわからない」とか「うまくできない」状態で機能不全にさせることが一番「素」に近い状態になるから、こちらとしてはどうにも誤摩化せない状態に追い込むことで体感させようとする。
ものすごく単純なことだけをやっているんだけど、その実、彼らは意図せぬままにものすごく高度な、難易度の高い点を目指しているってことだよなあ、と思う。
ちょっと散歩でもしようと誘われてへらへらついてきて、そうと知らぬままにヒマラヤ登山させられてる。
だけども、「難しいしわかんないから、もういいや」とリタイアする人が少ないのは、皆理屈や方法論としてわからないながらも、感覚的などっかで「もしかして、こういうこと?」「これがそう?」と感じるからなのかもしれない、登山の心構えはなくても歩くことはできるから「この先は無理」ってポイントまではなんとなく歩けてしまったりするんだろう。
さて二日目の今日は、「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」の抜粋を利用して、「考える」こと「やる」ことの組み立て方を、テキストとエチュードの両方からアプローチ、すんげえ難しいエチュードを用意してるんだけど皆やれるかしら、私にはWS中連続する朝までコースの飲みがヒマラヤ登山。
- 2010/01/24(日) 14:01:52|
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アスミック・エースにて2/28公開パク・チャヌク監督作品
「乾き」(
ファントム・フィルム配給)の試写。
二枚目ガンホが観られるのかと思ったらガンホはやっぱりガンホなのだった、神父が吸血鬼となった挙げ句道ならぬ恋に落ちて情欲に溺れ苦悩するというあらすじゆえ「うええええ」と目を背けたくなるエグい描写と、長げえよ!と突っ込みたくなるファックシーンが満載、女優のおっぱいが「これぞ!」という絶妙なエロさで理想的だった、後半は北九州監禁殺人事件を連想させる雰囲気、笑っていいのか泣いていいのか切ないのか痛いのか興奮すべきか萎えるべきか今ひとつ振り切れないのはドラマチックに仕立てようとする音楽のせいなのか、エンドタイトルのテーマ曲はとても素敵だったけど。
10年構想の吸血鬼のストーリーに「テレーズ・ラカン」を取り入れたと解説にあったが芸術っぽく売るより上品なカルトムービーとしてオールナイト上映で観たい感じ、元は「コウモリ」というタイトルだったと思うのだが文芸路線に変更して「乾き」にしたのかしら、「コウモリ」の方がカルトっぽくて合ってるけどなあ。
それにしてもソン・ガンホって台詞のいらない役者だなあ、顔だけで全部見えてくる、情緒の目盛りが日本的なんだろうか、ガンホで「北九州監禁殺人事件」を韓国に置き換えてやったら「復讐するは我にあり」の緒形拳を超えると思う、いや「復讐するは我にあり」をガンホでリメイクしてくれてもいい、ソン・ガンホと同時代に生まれてきたのは幸せなことだと思う。
- 2010/01/21(木) 22:22:39|
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小説教室、書きかけのシノプシスやらネタメモやらも資料で提供しての第一回は総勢20名のご参加を戴き滞りなく終了、WSにいた顔もあり、前回ぽしゃった時に作品提出して下さっている方もあり、mixiでの知人あり、3月のひと区切りまで脱落者なくいけたらいいのだがどうだろう、今後の予定としては4月からまた新規受講生を募集、今月から来てくれている方々は4〜6月の間に一本書けるようぐいぐい指導の予定、今日やったのはテーマ決め、10分で三つくらいを目処に出してもらったがたくさん出せる人も一つに絞っている人もいて、偏らない分、話を進め易かった、人物、タイトルなどの必要性の説明をして来月までに何を書くか再検討してテーマを提出、という感じにしたのだが、果たして参加してくれた方々にはちゃんと意図が伝わっただろうか。
待っていてくれたWS&モグラ稽古場付きのヤスコちゃんとタクシーで大久保「はち」に向かうも定休日でしょんぼり、徒歩で新宿に向かって、いつぞやガンホ会で使ったマッコリ専門店を目指すも見つからず、串焼きの店に落ち着く、後から訊いたらマッコリ専門店がある道はもう一本向こうだった、ヤスコちゃんは昨年夏のWSから来てくれていてモグラ町にも稽古場付きしていたのに、きちんと話したことがなかったので、芝居の話をメインにじっくり差し飲みできて楽しかった、集団飲み苦手なのでこういう機会があると、ようやく関われた気がしてほっとする。
自分の戦争体験を書きたいという老婦人、周囲で聞いた興味深い人の話を書きたいという老紳士、奇抜な発想のできる人、身近な視点を活かせる人、など様々、「こういう書き方をしろ」とは指導できない、が、当初に考えていた通り「読む」ことはできるし、「書いて欲しいもの」をリクエストすることもできる、編集者の悦びとはこういうところにあるんだなあと、自分の立場に役立つだろう発見も多くこの先が楽しみ、まずは切通さんのライター教室〜WS〜朝日CC小説教室と出逢い任せに流れて来てくれているMS嬢が、当初からずっと一貫して書きたいと言っているあのテーマで一本きちんと書き上げられるよう進めたい。
芝居のWSでは、芝居のためなんだから辛抱しろと言えるところがカルチャーセンターでは言えないのだ、皆さんの生活の一部としての貴重な時間だからこそ、緩い雰囲気で和んでも要点だけは逃さずにびしっと決められたらと思う、魔法のように小説が書ける、とはいかないけど、受講前よりなんだか書けそうな気分くらいは、ね。
- 2010/01/21(木) 01:49:29|
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阿佐ヶ谷でWSに来てくれた出世魚ズのコントラバス奏者・熊ちゃんの新バンド「大福」お披露目イベント、モミーさんに「モリヤンの友達です」と間抜けな挨拶して握手してもらっちゃった、アミナ・マイヤースやヒカシュー思い出しながら大福を前にしてもやもやと着想、即効でマツジュンに打ち明け、熊ちゃんに交渉、一年かけてでも口説くつもりが案外ノリノリ、大福メンバーの皆さんに挨拶していたら某青年が声をかけてくれた、曰く「犬の記憶」観てますって私が16のときに参加したほしのあきら監督の自主映画、聞けば多摩芸のほしの先生のとこにいた生徒さんで、「品行方正もバーグエポックから観てます」と、こちらが思い出せないような旗揚げ2本目の芝居のタイトルまで覚えてくれている旧いお客さん、そういう人に出逢うと自分の全人生と全存在が丸ごと肯定されたような気がしてもの凄く幸せな気分になる、今はドキュメンタリーで熊ちゃんを追いかけているそう、ははあ、これは昨日観た「バーナードとドリス」でスーザン・サランドンが力説していたカルマって奴なんだろう、気分よかったので終電一時間前の阿佐ヶ谷解散に物足りなくて大久保でぶーちゃんの「はち」に寄り道、案の定ハナコがいて楽しく小一時間、大久保の終電逃して新大久保までぶらっと歩き、健全かつ安全に終電前の山手線で帰宅。
子供のころ、母の親友の久江ちゃんの旦那さんがN響のコントラバス奏者だった、遊びに行くとでっかいコントラバスがあって、たまには弾いてるところも見ていたと思う、私がもっと大きかったら、もっとたくさんのことを教えてもらっていただろうけど、小さい私はもっさりしたその音がひたすらに退屈で気難しいものに思えて、とても優しくて繊細だったその奏者であるミツルさんも、そのまんまもっさり気難しい苦手な人だった。
母と親友の久江ちゃんは喧嘩して、いつからか長いこと疎遠になった、仲直りしたと聞かぬまま、私から母が亡くなったことを知らせたとき、久江ちゃんは絶句して、すぐに駆けつけてくれた、久江ちゃんはミツルさんもすでに亡くしていて、子供のいない夫婦だったので、一人きりだった、久江ちゃんは秋田の人で、母と仲良くしていた頃には毎年きりたんぽを持ってきてくれていたので、私は今でもきりたんぽが好きだし、コントラバスの音もいつからか心のすごく深いところで好きになっていた。
アコーディオンには憧れがあって、友人のライブに前座で出ていた日本語を喋るアメリカ人アコーディオン奏者・ALANをその場でナンパして芝居に出てもらったりもしているけど、あの頃の私はまだまだ山師臭い部分があって、ALANにも結構しんどい思いをさせたんだろうと思う、その後久々に会ったときには「もの凄く楽しかった、いい経験になった、とても大事な経験だ」と言ってくれて救われた、大福のアコーディオンの音にはそういう自分のはったりが通用しないと思った、はったりで進むことならはったりも厭わないけれど、そんなふうじゃなくもっと、不器用でも危なっかしくても、そのまんま胸を張って並びたくなる音だった、アルトサックスの音も、彼らが短く発する声も、全部が、私の何かを呼び込むように感じた。
きっと、大福を聴いた人は皆同じように感じるのだろう。隠しているところを突つかれる。
やるぞ、大福と前川。演出家も決めた。イメージもある。
音を聴いていて、そこに乗っかる自分の声や言葉が見えたんだ。
きっちりじっくりで、十年使える出し物を作ろう。
動き出すのは明日かもしれないし、来年かもしれない。
作る力を情熱で摩耗してしまわないよう、大事にしていこう。
全力120の段階で熊ちゃんを口説く。
ノースモーキングバンドが難しいならゴースモーキングバンド、いいや大福そのまんまと前川がそのまんま、ここ十年くらいの間にぼんやり願うだけだったあれこれが、熊ちゃん決死の大福を大皿に一品できた感じ、余分なこと検討せずそれがちゃんと伝わって、興奮してくれる熊ちゃんに愛を感じる、作り手だなあ、生きざまだなあと、衝動は原動に、情熱は継続に、出逢えたことは熊ちゃんを誘ってくれたマツジュンに多謝なのだけど、磁力なのか原子なのか出逢うべきときと場所と人が揃って始まる細胞単位の活動が、ひたすらじわじわ心地良くて、これは出逢いとかそういう段階をつるりと超えたところにいるんだなあと思う、皮一枚のところに、出逢うだけなのか、出逢いなどどうでもいいような細胞単位の活動がすぐに始まっているのか、そういうのがあるとして、始まっているのだと。
ああ、いいもん見つけちゃった、いいこと思いついちゃった、な興奮に大はしゃぎなのだけど、また飯の種から遠ざかったなあとも。
- 2010/01/18(月) 02:01:25|
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